映画

旧劇場版エヴァ「Air」で描かれた「私の知らなかったもの」

生きるか、死ぬか

「Air」が具体的に何を映し、何を描いたエピソードであったのか、主なりに一言で言うならば、あれは「戦争」を克明に描いた話です。

もちろん、エヴァンゲリオンはロボットアニメをベースとした、キャラクターたちの群像劇でありエンターテインメント作品です。

散りばめられた謎をさまざまな解釈で読み解きながら、独自の考察を展開して楽しむこともできる、娯楽作品です。

だから「は?戦争なんかじゃねえよ」と思われる方や主の意見を不快に思われる方もいてイイと思います、そう思う方にはゴメンナサイ!と先に謝っておいた上で、あくまで「主は」そう捉えています、という体で進めていきます。

…言い訳が長くなってしまいましたが、主には、この「Air」をさながら「戦争のようだ」と思って見てみることで、

本エピソードにおけるさまざまな悲喜劇やそこでの登場人物たちの異常とも思えるような昂ぶりきった精神状態が、よりありありと真実味を持って自分に響いてくるのです。

 

生きるか死ぬかの極限状態、そこで交わされるやり取りはすべて命と命の駆け引きであり、ウソ偽りなど入る隙もない。

人間の「本当の」心のありようが惜しげもなくさらけ出され、ある者は生きるために叫び激高し、ある者は死を受け入れて儚く微笑む…戦場においては、酷いこともズルいことも、醜いことも美しいことも起こり得るのだというような。

…クラシックの名曲をバックに臓物が飛び交う本エピソードは、私にとって「エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)」という作品すべてが「このエピソードを描くために」あるのではないかと思ってしまうくらい、脚本や絵作りに関しても他と比べられないくらいケタ違いの完成度を誇っているようにも思えます。

また陰惨すぎるグロ場面についても、単なる耳目を引くためだけのショック画像などでは決してなく、「戦争」下における風景のひとつとして「描かなければいけなかったもの」だと考えると必要な描写なのだと理解できます。

もっと言えば、あれがあるからこそ、「戦争」を知らない私のような者にも、目を覆いたくなるほどのリアリティとともにこの「Air」は鮮やかに胸に迫って突き刺さるのだとも思えます。

まとめ、終わるエヴァ

長らくシリーズとして人気を博していた「エヴァンゲリオン(ヱヴァンゲリヲン)」ですが、2020年にその区切りがつくようで、主も楽しみにしています。

最後に公開される作品によって、シリーズがどのような形で終わるのか、ひどく楽しみでなりません。

あらためて「Air」を見る人も増えるかもしれません。

私にとってはぬぐえないトラウマでもあり、また今後も変わらず見続けていく、本当に心から大好きな作品です。

まだ未見の方には、是非とも機会を得てなるべくネタバレなしの状態で見ていただきたいという思いから、なるべくシーンについての詳細などは省きましたが、そのせいで分かりづらい書き方になってしまっていたら申し訳ありません。

醜くも美しい「Air」の全容は、ぜひご自身の目でご確認ください!

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